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2018年度JIDA卒業制作展訪問レポート

2018年度JIDA卒業制作展訪問レポート
2018年度卒業制作展訪問雑感

2019年5月23日
次世代事業委員会・金澤秀晃

プロダクトデザインのフィールドはエバーグリーンか?
ついに30兆円の大台を超える売上高を記録したトヨタ自動車を中心に、ここ中部地方は日本の…いや世界の製造業の中心と言えるかも知れない。JIDA中部ブロックは、この製造業のメッカとも言えるエリアを中心に活動し、ここに紹介する次世代育成にもその大きな役割を果たしている。愛知県下の美術系大学、専門学校の卒業制作展を訪問する活動も1981年からスタートし38年の長きにわたり、若い世代へのエールを送り続けている。
商品の価値がサービスやコンテンツに移行する中、「プロダクトのカタチ」も大きく変わろうとしている。モノが溢れ、贅沢を言わなければ既存のモノで何一つ不自由の無い暮らしが可能であり、政府の見解ほど実感の持てない景気の中で「合理的に賢く生きる」意識が、物欲にブレーキを掛ける時代に於いて、プロダクトデザイナーの果たす使命や活躍するフィールドも変化していると感じる。そこには「便利」や「快適」といった既に充分に達成された「問題解決」だけでは、もはや新鮮さは無く、更なる「心の動き」…情緒的な価値の提示が求められている様に感じる。最近では、手の平サイズの四角い板に詰め込まれたアプリが生活を支配しているかの如き錯覚に陥るが、学生達は、ある時はそんな最新の技術を巧みに活かし、ある時はその揺り戻しの様に、アナログな感覚に新たな人間性を見出そうと、毎回ユニークな発想を提示してくれる。アウトプットもバリエーションに富み、その年の傾向を見出すのは難しいが、そんな時代背景の中で、学生達の志向は「モノ」に縛られることから、より「情緒」や「仕組み」を俯瞰する視点に移行していると感じる。

筆者は全ての卒業制作展を網羅した訳では無いが、今尚、記憶に残像を残すほど心に焼き付いた作品も幾つかある。象徴的であった愛知県立芸術大学の赤木さんが提案した「おとぎライト」もそのひとつである。使用されたLEDのフラッシュライトは市販品を改造したもので、スタイリングに対する作者の強いインテンションは掛かっていない。意地悪な言い方をすると玩具という切り口で表現しているが、キッズデザインに対する配慮は希薄だ。しかしながら、彼女が見せてくれたイリュージョンには誰もが心を奪われ、童心に返り、自分で操作してみたくなる衝動に耐えられなくなるほどの魅力があった。彼女が提示したのは「物品」ではなく「現象」であり、子供が握るフラッシュライトの意匠よりも、そのコンテンツや体験価値を生み出す彼女の「気付き」に皆が共感した。今までの…見た目の派手さやインパクトに惑わされず、問題解決としての着眼やコンセプトが重要…云々という考え方が間違いだとは思わないが、彼女の発見は、物品の意匠は後で考えるとして、人としてワクワクする瞬間を共有する喜びに満ち、新しいモノをイメージする楽しさを体験させてくれた。もちろんデザインとしての完成度を問うことも重要だが、大学教育に於けるデザインの現場では、色々な種(タネ)に出会い、様々な芽を伸ばし、どんな花が咲くのか…咲かせるべきなのかを夢見る「ビジョン」の育成がもっと重要視されるべきだ。誤解を恐れずに言うと、モデルを作るスキルやパネルを綺麗に貼る知識など後回しでも良い。どうせ直ぐに手を煩わせることなく簡単にモデルやパネルを作れる時代になるのだから。

愛知県立芸術大学:赤木萌根「おとぎライト」


良いデザインとは何か?
以前、建築家でプロダクトデザイナーでもある黒川雅之氏のこんな言葉に出会った。「いいデザイン=GOOD DESIGN」とは「悪いことをしない」デザインではない。エコロジーのデザイン、地球を汚さないデザインとは「悪いことをしないデザイン」だが、「いいデザイン=GOOD DESIGN」とは「生命を燃え立たせるデザイン」のことである。「どう生きるべきかを考えるデザイン」である。 …というものだ。 「デザインは問題解決する実務手段だ」…我々はそう教わってきた。プロダクトの分野では、ひとつの商品が人の日常行為をサポートし、簡単に、分かりやすく、安全に、誰にでも、間違い無く作業を遂行させることが使命だと教わってきた。デザインを「スタイリング」という狭義に留めないためには必要な視点ではあるが、本来デザインの本質にはもっとワクワクする心の昂ぶりや社会に対するアンチテーゼが不可欠で、その反逆のアンテナの感受性を養い高めることがデザイン教育には必要なのだ。一般的に昨今の学生達は「夢」や「未来」と言う言葉が少し苦手なのではないかと感じることがある。物心ついた時から既に様々なモノが揃い、先輩達の就職氷河期を目の当たりに、堅実で高望みを慎むマインドの中に生きている…そんな時代ではあるが、ここに集結したデザイナーを志す学生達は、おそらく他の分野に比べ夢を語る資質を備えてくれているのではないだろうか? 黒川氏の「生命を燃え立たせるデザイン」という程、大袈裟なものでは無いにせよ、彼らは内に秘めた夢を強かに燃やし、今回の卒業制作展でも、荒削りでありながらも幾つもの種を見せてくれた。
(受賞作品については、http://www.chubu.jida.or.jp/sotuten/sotuten_2018_jidasho.html を御参照願いたい)

更に感じる傾向は、「自分達が欲しいモノ」から発信する等身大の提案の多さである。彼らは勿論、自分達の興味関心が高い事案を選び卒業制作のテーマにしているが、その出発点は「公共や社会の問題」と言うよりは、自分の趣味であったり、癒やされたい自分を満たすモノであったり、ふとした瞬間の自分の生活を切り取るところから導き出されるもの、かつアナログな手段による「満たされ感」を求めるものが意外に多いと感じた。自分事として捉えている為、着想にはリアリティーがあり、SNSなどで自分語りに慣れている彼らは「私はこういうものが欲しいのだ」と自分を発露することが皆とても上手な時代になった。筆者は、これを必ずしも悪いことでは無いと感じている。デザインには社会性が必要ではあるが、今や世界中に瞬時に情報を発信出来る時代に於いては、デザイナーが何かを作った瞬間に、それは社会性を持ち責任が発生する。社会性は自己に必然的に伴うものだ。かつてマーケティングと呼ばれる顧客志向がユーザーニーズという川下発想であった時代では無く、作り手ひとりひとりが自分の価値観を発信し、それに共感する人達が市場になる「この指止まれ」式の川上発想が多様なニーズに応え、バリエーションに富んだ新たな価値を生み出すことになるのではないか? デザイナーは「美」を扱う仕事として、大いに自己の美意識を武器に堂々と「自分のためにデザインしている」と高らかに主観を主張する時代であっても良い。もっと社会的な回答でないと役立っていない…と考えがちなデザインの立ち位置を変える「芽」の様なものを学生達の提案に見出したいと願っている。

名古屋学芸大学:江草 彩「Familno」


名古屋芸術大学:新實栞菜「Miyoshi」


名古屋造形大学:西尾和真「見る・ミル」

即戦力は必要か?
筆者は「即戦力」という言葉を好まない。企業に30年いた筆者の経験上、新卒で即戦力になる様な人材などいない。カッコいいスケッチが描ければ戦力になる訳でも、誰も考えない様な奇抜なことを思いつけば戦力になる訳でも無い。新卒が即戦力になる様な会社は先輩が育っていないダメな企業に違いない。…にも関わらず「即戦力になる人材を育てる」といった耳当たりの良い惹句が大学の価値を支配することがある。目先の手堅さが重視される風潮の弊害だ。しかし、戦力たり得るほど多岐に渡るデザインの仕事を数年間で身に付けることは難しい。効率を追求することも大事だが、遠回りする特権を持つのも大学や専門学校の数年間だ。誰しも「失敗」は望まない。「失敗」は時間と予算を圧迫することに直結する為、せずに済むなら避けて通りたい…という思いと、「研究」という探求行為とは相容れない。大学は研究機関であり、自分のアイデアを打ち砕かれてこそ経験値が上がっていく。またそれが大いに許され…推奨される現場でありたい。それを果敢に乗り越えていくことで本人のプレゼンスも上がっていく。その為にも余裕のある日程管理が必要でシステム思考や効率的な作業が求められる。卒業制作は、資材の調達や不測の事態への備え、バックアップできる時間や善後策など、総合的にプロジェクトを管理する絶好のチャンスでもある。単に帳尻を合わせて完成すれば良いのでは無い…もちろんアウトプットとしての制作物も大切だが、このセルフマネージメントを学んでいると実感することができれば、彼らはもっと強くなれるし、真の「即戦力」たり得る。学生諸君には、失敗に怯むこと無くチャレンジし、大いに羽ばたいて欲しい。「令和」の時代を作っていくのは君達なのだ。

 

筆者:金澤秀晃 名古屋造形大学・教授

更新日:2019.06.28 (金) 14:15 - (JST)]
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